スリランカのABC

スリランカのことがよくわかる
ブログです。

スリランカ人の国民性

アーユーボワン!


今回はスリランカの国民性を考察してみます。
筆者が仕事や生活面で接しているにはほとんどシンハラ人ですので、 
自ずと「日本人から見たシンハラ人」ということになります。


個人主義か集団主義か

一般的に欧米諸国は個人主義、アジアは集団主義の傾向があると
言われます。 


日本人は集団主義、アメリカ人は個人主義ですね。 


スリランカはかつて西欧の植民地だったこと (ポルトガル→オランダ→イギリス)
があり、多様な影響を受けていますが、国民性としては「集団主義」が色濃く
残っていると言えます。 


他国の侵入を受けながらも、それらを個人ではなく、集団で適度の距離を
とりながら対応してきた国です。 


 分かりやすい例で言えば、バスや列車内の風景を見るとわかります。 


赤ん坊を抱えた女性、老人がいれば席を譲ります
車内で新聞を次々と回し読みをします。 
重そうな荷物を持っている人がいれば、一緒に運んであげようとします

筆者が最も驚いたのが、バッグを持って立っていると、座っている人が 
「ここに載せていいよ」と膝の上を指します。 


最初は理解できなかったのですが、バッグを膝の上に載せていいよ、
ということなのです。


自分の荷物を他人の膝に預けることは、当たり前のように行われています。


このように、スリランカでは集団主義的行動が随所に残っています


バス内の風景。物売りがさかんにやって来ます。

我が社会(アペーガマ) 


スリランカの国民性を特徴づける、集団的行動の理念は 
我が社会(アペーガマ)」と呼ばれています。


 自分とその家族を中心として、親戚、友人、知人と広がる人間関係において、
内(アペー)外(ピタ)を分け、対応するようになっています。 


このことが表れているのは、観光地などのサービスです。
現地人と外国人で施設の入場料が全く異なります。 
レストランでも、現地人より高い金額を請求されることがあります。
現地人を内(アペー)、それ以外を外(ピタ)として明確に分けている表れです。 


しかし、個人的な関係になると大抵は内(アペー)として、
非常に友好的に接してくれます。 


日本人から見ると、非常に家族関係、親戚関係、友人関係の絆が強く、
お互い助け合いながら生きているように見えます。 


村のコミュニティーでバスを借りきって旅行をしたり、誰かが亡くなれば
皆が葬式の準備をします。 


こういったイベントは、お互いの親交を深め、社会の一員として生きている
自覚を生み出しているように思えます。 


正月に行われる地域の運動会。


地域の旅行


 国民性のジョーク


国民性を表すこんなジョークがあります。  


世界中の人々を乗せた豪華客船が沈没しようとしています。 
船から飛び降りないと命が助からない状況です。 
さて、どう説得すればよいでしょうか。


アメリカ人:「飛び込めば英雄になれますよ。」 
イギリス人:「紳士はこういう時にこそ飛び込むものですよ。」 
ドイツ人 :「船内規則で、飛び込むことになっています。」 
イタリア人:「飛び込めば、女性にもてますよ。」 
フランス人:「絶対に飛び込まないでください。」 
日本人  :「みんな、飛び込んでますよ。」


 スリランカ人の場合はどうなるのか、幾人かに聞いてみました。 


ブッダ様がこういう時は飛び込むようにと言っています。」  
熱心な仏教徒が多いことから。


あなたの家族、友人は飛び込みましたよ。」 
気質は日本人に近いものがありますが、 
「みんな」ではなくてより近い「家族、親戚、友人」がやっているから、
と説得すればよいらしいです。


日曜のお寺の風景。