スリランカのABC

スリランカのことがよくわかる
ブログです。

第4弾 スリランカの歴史〜ポルトガル統治時代〜

アーユーボワン!


スリランカの歴史第4弾です。
15世紀半ば頃からヨーロッパによる海外進出が
始まり、「大航海時代」に突入します。
スリランカも例外なく、大航海時代の波にのまれて
いきます。


ポルトガルの植民地になる

16世紀前半のスリランカ

15世紀、スリランカは


コッテ王国(首都:コッテ)
キャンディ王国(首都:キャンディ)
ジャフナ王国(首都:ナルア)


という3つの王国が存在し、事実上コッテ王国がスリランカ
全土を支配していました。


しかし、16世紀に入るとコッテ王国で内紛が起こり、
シータワーカ王国(首都:シータワーカ)、ライガマ王国(首都:ライガマ)
の2つの勢力が独立し、3つに分かれてしまいます。



この内紛はその後のスリランカの運命を大きく左右します。

ポルトガルに揺れるコッテ王国

1505年、ポルトガル船がスリランカコロンボ港に漂着します。


当時の国王ダルマ・パラクラマバーフ9世は、思わぬ異邦人の
到着を受け、和平か戦争かの選択を迫られます。


しかし、ポルトガルの持つ鉄砲や大砲の威力を目の当たりにし、
和平を結ぶことを選択します。


こうしてコッテ王国とポルトガルは友好条約を結びます。


当初は友好的な交易だと思われましたが、1518年ポルトガルは軍艦を
引き連れコロンボに上陸し、要塞を築いていきます。


これに危険を感じたコッテ王国は、軍を進出させますが、
ポルトガルのもつ戦力に歯が立たず、ポルトガル商船の入港を
認めざるを得なくなりました。


またこの頃、コッテ王国内で内紛がおこり、シータワーカ王国が
勢力を伸ばしてきていたため、コッテ王国はポルトガルに援助を
求めます。


こうして、コッテ王国はポルトガルへの依存を深めていき、
主従関係が深化していきます。


その後、ポルトガルはコッテ王国、シータワーカ王国、ジャフナ王国
を攻略していきます。


ポルトガル領の最大領域


ポルトガルとオランダの対立

ポルトガルがコロンボを砦として、スリランカ支配を行った
理由は、シナモンの貿易独占にありました。


当時、シナモンはヨーロッパで高値で取引されており、
その産地はインド南部のケーララ、そしてスリランカの
西南部(キャンディ地方)
に限られていました。


ポルトガルは東南アジアを中心に香辛料貿易を積極的に行っていましたが、
商才たくましいオランダは独自に香辛料の入手経路を開拓していき、1600年
には世界初の株式会社となる東インド会社を設立するなど、ポルトガルを
脅かしていきます。


シナモン産地であるスリランカをオランダが見逃すはずはなく、
1602年、オランダの探検家スピルバーゲンがスリランカの東海岸、
バティッカロアに到着します。


オランダ冒険家スピルバーゲンとキャンディ王の対面


スピルバーゲンはキャンディ王国へ趣き、キャンディの国王と面会、
お目当てのシナモンの取引を手にし、オランダとスリランカの交易が
始まりました。


その後、スリランカ国内でポルトガルとオランダの一進一退の攻防が
続き、1658年にオランダ軍がポルトガル領のコロンボを占領します。


こうして、ポルトガルによる約150年(1505年〜1658年)にも及ぶ
スリランカ統治時代が終わりました。