スリランカのABC

スリランカのことがよくわかる
ブログです。

第5弾 スリランカの歴史〜オランダ統治時代〜

アーユーボワン!


今回はスリランカの歴史第5弾です。


時は16世紀の大航海時代。
スリランカは香辛料の生産地として、またインドや
東南アジアへの中継点という地理的優位性から
ヨーロッパ諸国の植民地化政策の標的となります。


オランダによる統治

シナモン利権の独占

1656年にオランダ軍が首都コロンボを制圧し、
ポルトガル軍を追い出し、スリランカを統治します。


オランダの東インド会社がスリランカを支配し、シナモン
の利権を得て、莫大な利益をあげます。


オランダはシナモン農園を公有財産として管理し、沿岸地域を
監視し、シナモンの自国以外による輸出を防ぐ
ことで、ヨーロッパ
でのシナモンの価格決定権を独占していました。


オランダの統治は利益優先、シンハラ人は奴隷として酷使され、
生活は困窮していきました。


スリランカ・シナモン


最後の王権、キャンディ王国

オランダ統治の中、オランダに競合する王国がありました。


キャンディ王国です。


キャンディ王国はオランダがスリランカに上陸して初めて
接触した王国です。


キャンディ王国は当初、ポルトガル勢力に対抗するために、
オランダを歓迎していました。


しかし、オランダはポルトガルを追い出すと、ポルトガルの
占有していた権益保持を主張しはじめます。


それにキャンディ王国は激怒し、オランダと対抗するようになります、


そうして、オランダとキャンディ王国は幾度となく衝突を
繰り返すようになります。


大英帝国の進出

大航海時代のイギリスは、スペイン・ポルトガルの躍進に対して
オランダと協力関係にありました。


しかし、オランダは東インド会社が香辛料貿易で、東南アジアを中心に勢力
を伸ばし、アンボイナ事件(1623年)をきっかけに、イギリスは
東南アジアから撤退を余儀なくされます。


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アンボイナ事件とは、インドネシアにあるアンボイナ島で、
オランダがイギリス商館を襲い、商館員を全員殺害し、同島の
イギリス勢力の一切を排除した事件です。
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イギリスの東南アジア撤退により、オランダは同地域の香辛料貿易
を独占
することで莫大な利益をあげます。


このことがイギリスの反オランダ感情を高揚させ、イギリスとオランダの
対立が深まっていきます。


1795年、島内でオランダとイギリスの戦争が始まります。


イギリスはトリンコマリー、ジャフナと次々と占領していき、
1796年には首都コロンボを占領します。


こうして、約140年間のオランダ統治時代(1658年〜1796年)が終わりました。


1815年ウィーン会議で、正式にスリランカはオランダからイギリスへ
割譲され、以後イギリス統治の時代になります。


同じ頃、キャンディ王国はイギリス軍に攻め入られ、イギリスの保護国
となり、その後イギリス領と併合され滅亡しました。